咥えかけた煙草を取り上げられた唇を真正面から塞がれ、仕方なく銀色のライターを傍らのテーブルへと放った。甘い匂いがする。その正体を突き詰める前に頭ごと唇を押し付けられて視界が陰っていった。
 互いの鼻先を避けて口唇を斜めに重ね直せばすぐに縢の両腕が絡み付いてくる。いつも好きなように好きなだけ、したいようにするだけ、そんな勝手なこの男の相手をするのは嫌いではなかった。
 黄色のソファに腰掛けた狡噛の腿の上には私服の縢が遠慮なく座り込んでいる。僅かに出した舌先で彼の上唇の内側を舐めると蜜のような味がした。間近から甘い匂いがするのは彼の口腔に飴が含まれていたからだ。
 浅く合わせた唇が熱を上げる前に、狡噛は緩く顎を引いて追わせないよう額を押し付けた。が、諦めの悪い唇が強引に求めて寄せてくる。
 その仕草に思わず笑ってしまいながら腕の中の縢を抱え直した。
 湾曲してしまった唇に浅く触れたまま縢は不機嫌そうに名前を呼ぶ。少し距離を取って眺めたその顔は片頬が小さく膨れていた。
「コウちゃん、続き」
 そんな声に、飴、とだけ返して片手で縢の顎を軽く掴む。彼はまだ唇を尖らせたままじっとこちらを見つめていた。
「それなくなったらな」
「いいじゃん別にこのままで」
 縢の頬を内側から膨らませていた丸みが右から左へ。まだ食べたばかりだという鼻先にからかうように「噛み砕け」と告げ、触れていた顎を軽く揺らした。
 途端に、んん、と短く呻いた顔が狡噛の手から逃れて半身ごと背後に逸れる。
「んだよ、そういうの良くねーよ?」
 何がと尋ねれば、にやついた顔が「照れ隠し」と返してくる。
「素直にアメちょうだいって言ってごらん? コウちゃん」
 狡噛の首に回した腕で半身を支えたまま縢はゆっくりと左側へと傾いていく。あからさまな挑発に半ば呆れながらも乗らずにはいられず、抱いた背中を強引に引き寄せて深く縢の唇を塞いだ。口腔へ舌先をねじ込むと丸く硬い感触に当たる。先程よりも強い甘ったるい匂いと味を覚えながら相手の鼻ごと押し潰すように顔を擦り付けた。
 息苦しさを訴える縢の両手が徐々に肩を押し返してくる。その仕草を確認してから狡噛は背中に添えていた腕を緩めた。
 跳ねるように頭を逸らせた縢が横目でこちらを軽く睨む。
「だからぁ、」
 酸素不足の胸に一呼吸置いてから彼は続けて唇を弾く。
「ちょっとくらいオレの好きにさせてくれてもよくね?」
「させてるだろ充分」
 抱えた腰を緩く抱きながらそう返せば縢はわざとらしい溜め息を吐いてみせる。
「まだ痛ぇんだよコウちゃんのせいでぇ」
 そうぼやいた声と同時に縢の顔が僅かに俯く。胸元を見下ろす目線を追って狡噛の黒い目も下方へと降りた。仕返しされた痛みがまだ残っているのか縢は俯いたまま上目でこちらを見上げている。
 先程聞いた彼の言い分としては、自分はある程度の我慢をしたのだから仕返しより先にまず警告するべき、という理屈らしいが、そこに狡噛にとって考慮すべき点は無く、したがって縢の言葉を聞き入れる理由もない。
 それを口にはせず縢に伝えないでいるのは、思い通りにならずに不貞腐れている顔が面白いからだ。理由は単純にそれだけだった。
 何も言い返さずに飴で小さく膨れた方の頬に緩く口付けてやる。たったそれだけの仕草で尖っていた吊り目が緩んでいく。彼は本当に我慢が出来ない。
 コウちゃんと名前を呼んで擦り寄ってくる体を抱き寄せながら耳元へ唇を寄せる。その耳朶を軽く啄んでやれば肩に触れていた縢の両腕がまた首周りへとじゃれついた。
「まだ痛いんだろ」
 吹きかけるような小声に縢の身動きが止まる。素早く持ち上げられた顔と目が合うと同時に狡噛が眉を上げてみせれば焦げ茶色の吊り目がまた面白くなさそうに細められる。
 こういうときばかり察しが良い。縢は生意気そうに尖った鼻先を上げて短く息を吐く。
「ってことはさ、する気あるんだ?」
 からかいと反抗を含んだ声が投げられると同時に彼の口端がにっと上がる。その様子を眺めつつ狡噛はゆっくりと片手を持ち上げた。
「ねぇと思ったか?」
 縢の左サイドを留めているグリーンのヘアピンに触れる。「思ってない」という短く端的な返事を聞きながら一本引き抜き、手のひらに収めて続けて二本目へ。
「だってコウちゃん機嫌が悪いときすげーやりたがんじゃん」
 その手に縢の指先が触れ、そのまま彼は自分でピンを外していく。
「おまえにはそう見えるのか」
「見えるっつーか事実じゃね?」
 はは、と軽く笑ってその言葉を否定する。
「だとしたら、俺は八つ当たりでセックスするような最低な男だな」
 縢の手の中に握られたヘアピンを受け取りつつそう返す。傍らのローテーブルの上に落とされた四本のピンは、それぞれ好きな方向を向いて銀色のジッポに寄り添っていた。
「違うなら違うって言ってもいいんだぜ」
 ほら、とじゃれつく吊り目は笑っている。
「機嫌が悪いときは思わず甘えたくなるんだ、ってさ」
 鼻先が触れるほど間近でわざとらしいことを言う。その憎たらしさが面白く思えてしまうから困る。
 黄色のソファに向かい合って座り込んだ体は衣服越しに密着し合っていた。互いに意地を張り、口先でどう告げようが、肌は欲求の正直さを隠せずにいた。
「そうだな、確かに気が立ってるときはおまえに甘えてる」
 縢の頬にかかるオレンジ色の毛先を指の背で撫で払いながら穏やかにそう告げる。
「俺にしがみついてるおまえを見てるとどこか落ち着く。特におまえが動けなくなって意識を飛ばしてるときはな、最高に昂る」
 予想通り間近にある表情が僅かに強ばった。生意気な口を黙らせるには、こんな言葉がもっとも有効だと知っている。縢は顎を引いてその両肩をすくめている。それが意識的であるにしろ無意識であるにしろ、頭に浮かんだ言葉を続けない理由にはならない。
「普段はガキみてぇにうるさい馬鹿がびくびく震えて声も出せねぇ。そうなっても抱きしめて続けてるうちにまた喘ぎはじめる。もっと、って喘ぎながら、……わかってるか? 俺でイキまくってるおまえは俺しか知らない顔をしてるんだ。おまえ自身ですら知らないような、そんな顔でしがみつかれたら俺だって思わず本気になる」
 平坦な口調で恥ずかしげもないことを投げる。縢はその唇を軽く内側に巻いて眉間を寄せていた。悔しさと羞恥が交じり合ったようなその表情は確かに頭の中を落ち着かせる。乱雑に散らかった部屋に大きな布を被せたように、彼しか見えなくなっていくからだ。
 眉を歪めた縢の額の内では今、生来からの強情さによりこちらの言葉に対する対抗手段を思案しているに違いない。
「……またそういう意地悪するし」
 しかしそれもうまくいかなかったのか、考えあぐねた末に絞り出したような声のみがようやく縢の唇から漏れた。まだ目線を逸らさないでいるのは彼なりのプライドなのかも知れない。それをどこか愛しく思いながら狡噛は茶色の髪を手のひらで撫で上げた。
「そうわかってても俺を甘えさせてくれるんだろ、おまえは」
 今度こそ返事はなかった。縢と甘く名前を呼べば、応えの代わりにううという情けない呻き声だけが寄越された。
「狡いな俺は」
 縢を見つめる目を緩めてそれだけ告げる。手のひらの中に頬を埋めた彼は眉間を歪めたまま諦めたように瞼を伏せた。
「……それをさ、自分で言っちゃうとこが一番ずるい」
「そうだな」
 狡噛は事も無げに単純明快な答えを短く返す。
「もっと素直にさぁ、つか普通に好きだって言えばいいじゃん」
 その言葉に対しても「そうだな」とだけ答えた。その時には随分と率直な意識でいたのだが、縢は未だ悔しげにこちらを睨んでいた。
「そんな簡単に……認めんなよ、バカ」
 彼らしくない小さな声だった。こうして意地を張り続けている方が居たたまれなくなってくるのかも知れない。その心情は深く考えなくても、よくあることとして容易に理解できた。
 狡噛が何かを返そうとする前に憎まれ口をきいた唇が不意に距離をつめて首筋に伏せられる。強く抱きついてくる体を抱きしめ返せば既に熱を含んでいる呼吸が耳元へと被せられた。
 頬を包んでいた片手が自然とずれて縢の胸元を通って下りる。脇腹に添えた手のひらを衣服の裾から潜り込ませていく。
 直接肌に触れると同時に縢はぴくりと反応を返す。わずかに身じろいでみせたのを催促と受け取り、狡噛は脇腹から胸へと縢の肌を手のひらで撫で上げた。
 肩へ顔を伏せたままの縢が掠れた声でコウちゃんと名前を呼ぶ。尋ね返す代わりにその頬とこめかみに顔を擦り付けた。黒い後ろ髪に触れていた縢の指が応えてじゃれつく。
「……ね、コウちゃん」
 頬に触れる柔い感触がそう動いた。
「まださ、感覚……少し残ってんだろ」
 抱きついた縢の体が手のひらに押し付けられるように身じろぐ。
「いつもはオレばっかいじられっけど、今はお互い様」
 ゆっくりと目を合わせながら彼はその口の端を上げて見せた。その不遜な色をした吊り目を見ていれば何が言いたいのか聞かなくてもわかる。
 狡噛は何も答えずに胸に添えた右手の指腹を突起に押し当てた。確かにまだ少しだけ感覚が伝わってくる。捏ねるようにゆるく回し撫でてその感触を確かめれば縢の呼吸が躓きはじめていく。
 ん、と息をつめた唇はどこか楽しげに笑っていた。口唇の表面を軽く啄んで互いの熱に集中させようとするが、彼はニヤニヤとしたまま狡噛の後ろ髪を指に巻いていた。
 その指が弾かれたようにぎゅっと髪を握りしめる。指先で触れていた乳首を軽く摘んで突起させたからだ。親指の腹で柔く上下に擦ると合わせたままの唇の奥から甘い匂いと呻き声が伝わってくる。
 自分にも伝わるその感覚は都合がいいのか悪いのか判断がつきかねている。そのちょうど中間に位置しているようにも思えた。縢の恍惚を直接的に知り、より密接にコントロールできること。そして同時に自らにも這うような疼きが舐めること。その真逆の状態が優位に立ちきれないもどかしさとして胸の底を泥のように濁らせる。
 しかしそれでも、きっとそのうちに互いに我を忘れてしまえば、つまらない歯痒さも肌の熱に溶けるだけだ。
 今の状況をそう結論付けようとしたとき、不意に腕の中の縢がぽつりと言った。
「……コウちゃんも……いつもよりいいっしょ? またあの薬、一緒に吸おっか」
 その言葉に狡噛は頭の隅が尖るのを感じた。執行官として口にしていい言葉ではないと理性的に考えるよりも先に、自分個人への揶揄と煽り、そんなことを感情で真っ向から受け取ってしまった。
 本当にこの年下の男には大人げなくさせられる。
 言葉を遮るように強く唇を押し付けて縢の口唇の表面を歪める。嫌がるような、んん、と詰まった声を耳にしながら指の合間で小さな芽を執拗に左右に捏ねていく。
 縢に与え続けているじわりとした疼きが胸から腰骨へ。一方的に責めてやりたいのにどうしても思うままにならない。
 狡噛は焦れたように口端から頬を辿った唇で縢の首筋へと潜り込む。そこへ強く吸い付いて片手で衣服の捲れた腰を抱き寄せた。
 こうして強引な仕草になってしまうのは縢のせいだ。そう胸の内で呟いてから狡噛は耳朶の輪郭を舐め上げた。
 先程からの生意気な口調と言い草を頭の中で反芻する。そうして狡噛は細めた黒い目から縢の伏せた瞼の線を眺めた。
 口を寄せた間近で「わざとだろ」と鼓膜に吹き込んでやる。縢は懐くように顔を擦り付けたあと、悪びれもせずに「わざとだよ」と同じような言葉を囁き返した。
 狡噛が何かをいう前にすぐに頬へ軽い口付けが何度か寄越され、生意気そうな吊り目がこちらを覗き込む。縢は事も無げに目を合わせたままゆっくりとその半身を背後へと傾けていく。
「……悪ィね、コウちゃん」
 ソファに仰向けに転がった縢は両腕を頭の上へと持ち上げて緩く胸を開いた。首元まで捲れた衣服から覗く肌の色が黒い目の表面に反射する。
「好きにして欲しいって思うときほど、怒らせたくなんだよね」
 ゆっくりとソファに髪を焦らし、指先で黄色の表面を掻き、彼は少し背中を逸らせて身じろいでみせた。
「だって……機嫌が悪いときって素直なんだもん、コウちゃんは」
 そこで一旦言葉を区切って縢は浅く息を吐く。見上げてくる焦茶色の目は既に微熱に溶けかかっていた。
「オレさ、我慢できねーの。あんたにされたいことしたいこと全部」
 膝を立てた両脚がこちらの腰へと絡み付いて続きを催促する。その仕草を眺め下ろしていた狡噛は、知ってる、と低く短く返し、彼に促されるまま半身を傾けていく。
 深く覆い被さりながら天井の光から縢を隠していく。重ねた唇の奥には先程よりも小さくなった甘い塊があった。焼け付くような甘さの中にカラメルの僅かな苦味がする。それを悔し紛れに奪い取り、頭を上げて唇を離す。頑なに視線を合わせたままの狡噛が奥歯で飴を噛み砕いているうちに縢はどこか困ったように笑った。
 その唇がまた生意気に弾かれてこう言う。
「そんな顔したらもっと怒らせたくなんじゃん、バカ」


カラメル 20140316/終