彼の白いツノ



 カシャカシャと心地よい音が立ってる。縢の腕に抱えられたボールの中で白く細かいクリーム状のものが泡立てられていた。それがメレンゲであることは狡噛にはわからない。
「コウちゃんチョコレートは苦手じゃないっしょ。ちゃんとコウちゃん用のも作ってあげるからさ」
 大きなボールからこちらへと目を上げた縢がそんなことを言う。その中身はもう斜めに傾けてもだれない。ほぼ直角に立てられたボールに銀色の泡立て器が叩き付けるような仕草でメレンゲをかき混ぜている。
「あのさ、見てなくていいから」
 あっち行ってていいよ、と苦笑いのような照れ笑いのような声が上がった。普段なら無遠慮でうるさい唇が居心地悪そうにしている。キッチン台の前のスツールに座った狡噛が頬杖をついたままじっと縢の様子を見ていたせいだ。
 本当は、彼が調理をしている姿を見ているわけではなく、彼の頭頂部に生えた小さなツノを眺めていたのだが。そのツノは親指の先ほどの大きさで、縢の耳よりも数センチ上、シンメトリーにふたつ生えている。それは髪に隠れてしまえば見えなくなるほどの大きさだった。
「でもさぁコウちゃんいきなり変なこと言うからびっくりしたよ」
 縢は泡立て器からゴムべらに持ち替えながら慣れた手付きでもうひとつ小さめのボールを引き寄せる。
「ツノ? なんか変なの生えてるって髪ぐちゃぐちゃにしてくれちゃって」
 数時間前、デスクに座って携帯ゲーム機で遊んでいた縢の髪の中に狡噛はツノを見つけた。はじめは何かゴミでもついているのだと思った。廃棄区画の調査から帰ったばかりだった。狡噛がゴミ箱をぶちまけたとき、その場にいた縢は頭からゴミを被った。だからそのときの何かが髪に絡まっているのだと思った。
「もうちょっとで最高難易度クリアだったのに」
 縢は頭を撫で回されたときのことを思い出したのか唇を尖らせながらそうぼやく。手元のメレンゲはつんと白い角を立たせていた。
「でも今も生えてんぞ、ツノ」
「はぁ? まだ言ってんの?」
 泡立てていたメレンゲをちょうど半分別のボールへと移しつつ縢が困ったような目を上げる。
「とっつぁんとクニっちにも見てもらったでしょ、コウちゃん」
 確かに彼の言う通りオフィスにいた数人が縢の頭を確認した。彼らは首を傾げるばかりで、最終的には狡噛の方を訝しげに眺めていた。
「廃棄区画でヤバい煙とか吸っちゃったんじゃね?」
 縢はそう言って口の端をニッと上げてみせる。
 幻覚、幻視。そんなものなのかも知れない。そのツノが実在しないものであったとして、しかし自分には目視できている。その理由を知りたくてこうして縢の部屋で彼の様子を眺めている。
「なんで俺だけに見えるんだろうな」
「オレにわかるわけねーだろぉ、つかマジ見えんの?」
 からかってんじゃなくて? と続けて縢は背後へとその手を伸ばす。喋りながら作業を続けるその器用さが狡噛の黒い目の表面に映っていた。
「見える、というか触れる」
「へぇ。何色? 硬ぇの、そのツノ」
 縢の吊り目が興味心を隠さずに正面の狡噛へと上がった。
「白っぽいな。触った感じは骨に似てる」
「はは、悪魔みてーな感じ?」
 スケールの上へ乗せたボールの中に白いパウダーが振りまかれていく。狡噛は、悪魔、と胸の内でくり返してからもう一度縢を眺めた。
「そんなに大層なもんでもねぇな」
「ええー、せっかくならかっけーのがいいのに」
 じゃれたようにぼやく彼は手元のボールへと目を落としている。その少し屈めた頭にはやはりクリーム色の小さなツノが見え隠れしていた。頭の高い位置、左右にふたつ。それを眠い目で眺めながら狡噛はゆっくりと脚を組む。
 縢がこちらの言葉を本気にしているとは思っていなかった。彼はそれ以上の追及はせずに、絞り袋から慣れた手付きでマカロン生地を成型していく。狡噛も何も言わず縢の手元とそのツノをただ眺めていた。
 キッチン台には規則正しく並べられた丸い生地が乾燥を待っている。クランベリーの赤と、ヘーゼルナッツの淡い緑。ふと狡噛はそのトレイに指を伸ばす。洗ったばかりの濡れた手が「ダーメ!」と狡噛の指をたたき落とした。
 眉間を寄せた目と視線が合うとすぐに縢はニッと笑う。生意気そうなその唇がゆっくりと距離を詰めてくる。スツールに座った狡噛の腿を跨ぎながら縢は両腕を肩へと滑らせる。
 そうして身を寄せ合えばあとは互いの熱に任せるだけだった。抱きついてくる体を抱え上げる頃には、縢は懐くように狡噛の首筋にその額や頬を擦り付けていた。
「……ね、コウちゃん」
 床から浮いた両足を緩くばたつかせつつ縢が耳元で名前を呼ぶ。「ベッドがいい」とねだられて反対する理由もなく、足は部屋の奥へと向かう。
 衣服を脱がせ合いながらいつものように他愛無い話を聞く。欲しいゲームの購入申請が通らないことや、さっきまで作っていた洋菓子のこと、それから狡噛に対する執着に似た恋情について、等々。次々に変わる話題を狡噛は黙って聞いていた。
 ジェルにまみれた後孔が陰茎を全て飲み込む頃、縢は深く呼吸を吐いて狡噛の肩に指先を立てる。対面に座り込んだ彼の目元は赤く、唇は互いの唾液でぬらりと反射していた。
 ふと「気になんの?」と尋ねられて狡噛は彼と目を合わせる。軽く押し付けられた唇はすぐに離れ、機嫌の良い形で半円を描く。
「……ツノ、まだ見える?」
 彼は狡噛の肩から離した片手を自分の頭へと持ち上げた。明るい色をした髪の中にある小さなツノは、薄暗闇でも見て取れる。狡噛が「もう少し右」と位置を告げると縢の指がツノの先端に触れた。
「……よくわかんね」
 だがその指先は髪の流れにそって彼の顔の横へと下ろされる。狡噛以外、縢自身ですら見ることも触れることもできないらしい。狡噛はそっと指を伸ばしてその白い突起に触れた。
「そんなに気になんの」
 半ばからかうようにそう告げられる。指の腹で突起の先端を撫でつつ狡噛は少し顎を引いた。すぐ間近にはこちらを見上げる吊り目がある。その顔や様子は普段と変わらないのに、髪の中だけがいつもと違う。
「……コウちゃんさ、」
 狡噛が返事をする前に縢の両手が肩を押した。そのまま背後へと傾いた体が背中からベッドに倒れ込む。
「してるときくらい夢中になってくんね?」
 胸の上には両手が伏せられ、僅かに顎を上げた顔から生意気そうな視線がこちらを見下ろす。
「なってるだろ」
「ツノばっかじゃん」
 不機嫌さを隠さない唇がむっと尖って不平を言う。指先でその唇に軽く触れて真横へと撫でれば縢は更に眉間を寄せた。
「あのねコウちゃん、ツノなんかねーの。みんなにもオレにも見えてねーし、コウちゃんの幻覚なの」
 そんな言葉に「わかってる」とだけ返すが、縢は不満げな目のまま狡噛を見下ろしていた。
「わかってねーから見えてんだろ」
 低く落とされた声には彼の凶暴さが薄らと含まれている。
「そのツノはさ、オレに生えてるように見えるかも知れないけど、オレじゃないじゃん。ただのコウちゃんの幻覚じゃん」
 狡噛が見上げる視界には縢と、そしてその向こうには部屋の天井がある。ベッドの傍らにある小型のランプだけが橙色に灯っていた。室内の明かりが落とされているせいで縢の姿も天井も暗く陰っている。
「あんたがオレを見てるつもりで見てねーっていうか……なんかそれがムカつく」
 彼がそう言い切ったとき、不意にその髪の中から何かが盛り上がった。それがツノだと気付いたときには既に先端は縢の耳の辺りで円を描き、更に伸びていく。
 狡噛は自分の腹の上に伏せられている縢の手に手のひらを重ねて「縢」と名前を呼ぶ。
「悪い、わかってはいるんだが」
「わかってんなら」
「あまり怒るな」
 縢の言葉を遮るようにそれだけ短く告げる。狡噛の目の前で縢のツノは羊のように弧を描いて彼の頭を覆っていた。
「どんどん伸びてる。今、悪魔みたいになってるぞ」
 そんな言葉に縢は「えっ」と声を上げて自分の側頭部に触れる。やはりその手には何も触れないようだったが、こちらを見下ろす表情はどこか嬉しそうだった。


彼の白いツノ/終  ぐり 20140824



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